小説 -12-「近大マグロ仕掛人の逆転ブランディング」
―前回から続く―
【商品の価値は商品だけじゃない】
私は美咲に、もう一つ話をした。
「実はな、近大マグロの価値を伝えるために、生産現場にも何度も足を運んだ。」
「現場まで?」
「そう。」
「そして、そこで見聞きしたことを、お客様に伝えた。」
「どんなことですか?」
「例えば、マグロの取上げや。」
「取上げ?」
「いけすからマグロを取り上げて出荷する作業やね。」
「普通に網ですくうんじゃないんですか?」
私は笑った。
「マグロを甘く見たらあかん。」
「えっ?そんなに難しいんですか?」
「マダイやハマチなら、網を手繰り寄せて、タモですくうこともできるけどね。」
「でも、マグロは?」
「そう簡単にはいかん。」
私は少し笑いながら続けた。
マグロは、とにかく泳ぐ力が強い。
直径30mの大きないけすの中を自由自在に泳ぎ回る。
「そこで、普通は電気針に餌をつけて、釣り上げるんやけどね。」
「電気針?」
「そう。でもね、水温が低い時なんかは、どうしても餌に食いついてくれへんこともある。」
「じゃあ、釣れない時はどうするんですか?」
美咲が身を乗り出した。
「それが問題なんや。」
養殖マグロの大きなメリットのひとつは、お客様が欲しい時に供給できることだ。
“今日は取れませんでした”では済まされない。
出荷を待っているお客様がいる以上、なんとしてでも取り上げなければならない。
「取上げられないからといって、出荷を止めるわけにはいかん。それこそ、お客様からの信用を失ってしまうからな。」
「なるほど……。」
「そんな時は、大変な作業になる。」
私は続けた。
「まず、いけすの真ん中に巨大なアドバルーンのような風船を膨らませる。」
「風船?」
「そう。風船を膨らませて、マグロが泳ぐドーナツ状の通路をつくるんやね。」
「そんな方法があるんですか?」
「うん。そして、その通路の一角に、熟練したスタッフが待ち構える。」
「どうやって取上げるんです?」
「電気モリや。」
「電気モリ?」
美咲の目が大きくなった。
「マグロが泳いできた瞬間を狙って、頭部を突く。」
「頭部を?」
「そう。身の部分に傷をつけたら、商品価値が大きく下がってしまうからね。」
「……なるほど。」
「だから、すごく手間がかかる。それに、ものすごく気も使うし技術もいるんや。」
私はそこで、少し笑った。
「なあ、美咲さん」
「はい?」
「これを聞いたお客さんは、どう思う?」
美咲は少し考えた。
「……『養殖マグロ』という言葉だけでは分からない、いろんな苦労があるんですね。」
「そう。」
私は大きくうなずいた。
「そして?」
「『特別なマグロなんだ』って感じますかねぇ。」
「そこや!」
私は、美咲のほうを指さした。
「商品そのものを変えなくてもね。その商品の背景を知らせることで、人が感じる価値は変わるんや。」
ふつう、商品そのものは目に見える。でも、その商品を作ったり支えたりしている人たちの苦労や工夫は知られていない。
だからこそ、それを伝えることに意味がある。
商品に付加価値が付くのだ。
「実はね、ブランディングって、こういうところから始まるんや 。」
―続く―




